予約した電車の切符を買いに来たのだが、指定席券だけ欲しいのか、乗車券も欲しいのか、こちらからの問いが伝わらないらしい。困ってしまったところで、わたしの存在を思い出したという。助けを求める表情でわたしを見る職員に目を向けながら、「英語ですか……」と思わず呟いてしまった。
日常会話なら身振り手振りを駆使し、主にジェスチャーのみで英会話をする自信はある。しかし、こと接客や何か重要な説明をするとなると、誤解を生んでしまう自信がある。
「英語かぁ……」
顔をしかめながら手を首の後ろに当てていると、カウンター対応の職員が、「韓国語? でもいいかも」と言い出した。来店されているのがおそらく韓国人ではないかというのである。
「韓国語なら、うってつけのやつがいます」
わたしは喰い気味に、同じ課で働く後輩を指差した。繁忙期を迎え、パソコンの画面に集中していた彼は、突然の指名に、「え? なんですか? え?」と顔を上げた。
「韓国語なら、彼です」
わたしはもう一度、繰り返した。
実際、彼は韓国語が堪能で、韓流ドラマを観ていてもなんら問題のない実力だという。カウンター対応の職員が、「お願いできる?」とそちらに目を向けた。彼は上着の袖に腕を通しながら、「乗車券、かぁ……」と呟き、カウンターへと向かった。
一難が去った。
安心したわたしは、仕事に戻りながら、それにしても他国の言語を話せるのはなんと有能なことかと感じていた。こうして困っている人を助けることができ、ビジネスの役にも立つのである。たまたま優秀な後輩が今日、一緒にいたことを神に感謝しながら、わたしは企画書作成に意識を戻した。すると、ふたりがすぐに戻ってきた。
一瞬で解決したのか、さすが能力のある後輩である、と思っていると、彼は苦笑しながらわたしに告げた。
「台湾人でした」
「え?」
「タイワニーズイングリッシュでした」
嫌な予感が走り、見ると、カウンター対応のひとが、わたしに助けを求める目線を送っていた。振り出しに戻る、である。
「乗車券、かあ……」
英語でなんと言うのかピンとこない。しかし、無下にするわけにもいかない。わたしも後輩と同じ言葉を口にしながら、不安うずまくカウンターへと足を運んだ。
行くと、困った顔の女性がカウンターに座っていた。30代半ばくらいだろうか。バックパッカーというより、短期旅行者のような服装だった。わたしは流暢に、「は……はろー……」と声をかけながら、対面に腰を下ろした。
相手も気の長い性格だったことが功を奏し、ああでもないこうでもないニーハオしぇいしぇいカムサハムニダとしゃべっているうちに、指定席券だけ求めていることが判明した。カウンター対応の職員は安堵の表情を浮かべ、「いま用意してきます」と準備に向かった。
その間に、彼女と雑談を交わした。何日くらいいるのか、これから日本のどこを回るのか、わたしには台湾人の友人がいて、彼の結婚式に台湾まで招待してもらったこと、そのときの体験がおもしろかったこと、その友人とはワーキングホリデービザを利用してオーストラリアに行っているときにカフェで一緒に働き、一緒に住んでいたこと、もし興味があるなら、ワーキングホリデーは最高の体験になるのでぜひおすすめしたいこと、そんなたわいもない話を彼女とした。
切符が用意され、精算を終了したあとも、話が盛り上がり彼女との会話を続けた。それは、彼女を見送って事務所に戻ると、「ずいぶん盛り上がっていましたね! みちさん英語すごいですね!」と驚かれるほどだった。
何かの話の流れから、紅葉の話になり、わたしは、歩いて20分ほどのところにある中島公園がおすすめだと彼女に伝えた。
「最近見たわけじゃないから、まだ早いかもしれないし、どういう状況かわからないけれど、中島公園の紅葉はきれいだからぜひおすすめだよ」
そんなことを話すと、彼女は喜び、「札幌市内はまだあまり観光していないから、ぜひ行ってみます」と笑顔を見せた。
正直なところ、本当にどうなっているのかわからなかった。中山峠のほうは紅葉がきれいになっているのを実際に目にしていたが、札幌市内はどうなのか、きれいに色づいているのか、住んでいるのに、なぜかそのとき印象がなかった。
わたしはへたな地図を描き、彼女に行き方を説明した。彼女はそれを持って、「切符のことも含めて、本当にいろいろありがとう」と嬉しそうに席を立った。
帰り際、満面の笑みを浮かべながら、彼女は突然、「今日、わたしの誕生日なの」と言い出した。
「で、あなたに会えて、おしゃべりできてとてもよかった。すてきな誕生日になりました」
その言葉に、わたしの胸はあたたかくなった。
「誕生日おめでとう。すてきな旅を続けてください」
微笑んで見送ると、彼女は明るい表情を浮かべながら、小さく手を振って店を出て行った。
昼休みになり、食事に行くためわたしはビルから外に出た。そして、街路樹を目にし、「おっ」と口にして驚いた。充分に赤く、色づいていたのである。
多忙な日々を過ごしていたせいだろうか。街の木々に目を向けていなかったようだ。朝も同じ道を通ったはずなのに、秋の彩りにまったく気がついていなかった。
彼女と楽しく会話をできたことが、わたしの心に余裕の色を生んだのかもしれない。わたしは足を止めて、色づく木々にしばし目を向けた。
食後、大通公園のベンチに腰を下ろし、ホットコーヒーをすすりながら秋の空を眺めた。青い空の下で映える葉は、豊かな色彩で街を染めながら、歩く人々を魅了していた。道ゆく人が、色づいた街並みにカメラを向けて、それぞれに笑みを浮かべていた。
彼女もきれいな紅葉を見られただろうか。わたしは想いを馳せながら、そんな人たちをゆっくりと眺めた。