始めた動機はさまざまだが、ほとんどの場合、お金と地方を盛り上げるためといった理由が目立つ。収入を得るためにやむを得ず始めた地区も散見する。
そんななか、違う理由で盛んに取り組んでいる地域がある。十勝である。
食の大切さ、その現場、一次産業の重要さ、土地の魅力、それらを知ってもらいたい、伝えたい___。そういった意図により、共感したひとたちの協力を得て、少しずつ拡大し、現在に至っている。
ここまでくるには相当難儀だったに違いない。十勝の一次産業はもともと他の地方とは違い、潤っているらしい。だから、それだけで生活ができるため、わざわざお客を招き入れて仕事を増やす必要はないというのである。また、十勝は閉鎖的なところがあり、市町村の連携に弱く、一丸となることを不得手としていると聞いた。それが、「食の大切さを伝えたい」という一つの想いから、口コミで輪が大きくなり、何百にも及ぶいまの受け入れ態勢が整っているというのだから、驚きだ。
なかには半信半疑で始めたという酪農のおばちゃんもいた。こんなこと、なんのためになるのだろうかと。しかし、受け入れることで自分たちもたくさんのことを学んでいると話していた。自分が毎日やっていることがいかに重要なことなのか気付かされ、誇りになっていると胸を張っていた。
「ほんとね、牛乳はもともと血だって知らないんだよ」
当たり前だと思っていたことが、生活環境でまったく異なる。相互における刺激と成長は日本の明るい未来を形作っているのかもしれない。
わたしも、十勝の酪農家さんのお宅に泊まり、搾乳のお手伝いをさせてもらったことがある。朝から晩まで365日、どんなに過酷な気温の中でも牛の世話を続けている姿には敬意を覚えた。また、牛舎に繋がれて日に数回搾乳される牛たちの姿を目にし、わたしは、命を飲んでいるんだなという感想を強く胸に感じた。
搾乳前
搾乳後
この違いを見るだけでもびっくりだった。
前述したおばちゃんの家では、毎年関西から修学旅行で来る高校生を受け入れている。酪農体験の他にも、自分の畑で作っている野菜をつかって一緒に料理をし、食事を共にしているという。
「最初のうちはもじもじしている生徒たちも、そのうち元気になって、一泊しかしないのに最後には涙なみだの別れになることもあるよー」
笑みをこぼしながら、おばちゃんは話してくれた。広い大地で取れたジャガイモなどを使い、その土地ならではのおいしい食べ方を伝授する。生徒たちは豊かな甘みのある野菜に感動を覚え、一生の思い出である修学旅行を、また一段上の、深い記憶として刻んでいく。
伝えたいことがひとつずつ、増えていく。
ひとと会うことで__
ひとと時間を一緒に過ごすことで__
少しずつ、少しずつ、増えていく。
そんな受け入れを続けていたある日、宿泊した男子生徒の親から、後日手紙が届いた。なんだろうと不安になりながら開くと、それは感謝の手紙だった。
それまで、その生徒は自宅で台所に近づいたことがなかったという。それどころか、思春期特有の性なのか、態度は冷めており、会話をすることも減っていたらしい。
ところが、北海道の親戚から野菜が届いたのを見た男子生徒が、突然台所に現れ、「それ、オレがなんか作ってやろうか?」と声をかけてきた。聞けば、修学旅行先でお世話になった家で教わってきたとのことだった。息子はずいぶんと成長して帰ってきた、本当にありがとうございました——と、感動と感謝のことばが、その手紙には長く綴られていた。
ひとつの貴重な経験が人生を変える。
十勝にはその宝が、広大に存在している。
実際のところ、わたしはそんな土地に住んでいたのに、一端とはいえ、表面より先の現場は経験したことがなかった。だから、お世話になったあの24時間にとても感謝している。自分にとっての大きな成長、非常に得難い体験だったと、つくづく心からそう思う。
ふだん口にしているものがなんなのか。それを生産しているのはどんなひとたちなのか。
これを機に、あなたも輝く宝を胸に納めるために、足を運んでみてはいかがだろうか。