3月11日(4日目)
さあ。それでは北海道に戻ります。
高速道路を使えば栃木~仙台間は3時間くらい。仙台発フェリーは19:30出港なので、時間たっぷり。
まず、福島県のとある雑品屋に寄ってきた。事前に社長に「来い来い」と何度も言われていたが…まさかの不在。
「おー、悪い。今、佐賀県よ。」
だって。
仕方ない。
骨董品のストーブでも積んで帰るか…
「買ってくれるか?100万だぞ」
「…」
1,000,000円ストーブ
事前に用意してもらっていた作業台だけ積んで帰ることにした。
途中、ここらで有名なラーメン屋さんに立ち寄った。
見た目の割にはとてもあっさり。
うん。やっぱり地元のラーメンがいいな。(※オートバイツーリングの記事参照)
食べ終えたら福島県いわき市へ。
そこから国道6号線を北上し、被災地を見ながら走る計画だ。
南相馬市、双葉町。 テレビでは聞いたことのある名前だ。
2021年3月11日 14時46分。
僕らはここにいた。(海岸沿い青い印)
10年前の事を思うとゾっとする。FMラジオからは「黙祷」と流れていた。もちろん運転中なので、心の中で黙祷。早く元通りの日常が訪れますように。
この日の海はとても穏やかだった。
きれいに整備された道路。この10年の間に修繕したのだろうか。
どんどん北上していく。
すると、大熊町に入った辺りで景色が一変した。大熊町、浪江町と言えば福島第一原発に最も近い地域だ。
ガラスが割れて廃墟になっているがトヨタのディーラーだ。
しまむらが見えてきた。
服が陳列されたまま時が止まっていた。本当に驚いて言葉にならない。
写真は撮れなかったが、道路の電光掲示板に「現在の放射線量○○マイクロシーベルト」と書かれていた。
建物には入れないようバリケードがされている。バリケードというものは、映画の中でしか見た事がなかった。住民は一体いつ我が家に帰れるのだろうか。この地区ではそれも叶わないのだろうか。
畑のようだけど、活用されているのだろうか。雑草は無いようだけど、何か収穫した後の感じも見受けられない。
農協の施設も時が止まっていた。
畑を掘っている。何のためだろう。
この川も津波が逆流したのだろうか。
盛り土にシートが掛けられている。雨で流れたら良くない土なのかな?
フェンス越し遠くに養生シートの山が見えた。
何も無い。
全て津波に飲まれてしまったのか。
ここは遠くにメガソーラー発電所が見える。
畑として活用しているのか、水が入っていた。
写真ではこれくらい。
もちろん綺麗に整備された道路も沢山あった。でも逆に、放置されたままの建築現場なども複数存在していた。
僕的に思ったのはやはり、まだまだ復興途中だなということ。被災した方々が早く日常を取り戻してほしいと思った。
時間も押してきたので、高速道路に乗って仙台港へ。
模型があった。後ろの方、震災で破損したとある。模型で良かった。
諸元表。
ちなみに僕のトラックは
・長さ 11.99m
・幅 2.49m
・車両総重量 25トン
・エンジンは330馬力。
ちなみに本物の馬は一頭で5馬力くらいあるらしい…
乗船手続きを済ませ、フェリーに乗り込む。
タグボートに引っ張られいざ出港。
旅も終盤。なんだか寂しい気持ちになる。
無事に苫小牧に到着しました。後は安全に帯広まで戻るだけ。
我が家に戻ってきた。
家の窓から妻が手を振って迎えてくれた。
「ただいまー」
「おかえりー」
「はい。これ」
「陰性なら入ってきていいよ」
「車の中でやってね」
もちろん陰性でしたよ。
終わり