これを読んでいるあなたの思い出にしても、バスガイドさんや、観光先で関わった人の印象のほうが強いのではないだろうか。写真に写っているのも、大概は旗を持ったガイドの人である。旅行会社の気配はそこにない。多くの生徒さんたちにとっても同様であろう。しかし、彼らにとって旅行会社の存在は、それでいいのではないかと思っている。裏方としての行動——いわゆる、黒子に徹しているのだ。
スーツを着た胡散臭い男がいつのまにかバスに同乗し、観光地に着くなり我先にと下車して走り出し、どこへ行ったのかと思えばまた隊列の前方や後方で薄ら笑みを浮かべながら付いてきて、気がつけば離れたところであちらこちらに携帯電話をかけ、ホテルへ着けばやることがないのかロビーに設置されたツアーデスクにまんじりともせず待機し、かと思えば廊下をうろうろ、食事会場をうろうろと怪しく徘徊し、不気味な様子を見せていたかと思うと、翌日からのバスでは気を失いそうな半目の状態で睡魔と戦っている奇妙な中年のことなど、妖怪がいたと思って、むしろ忘れたほうがよい。
とはいっても、わたしの友人の中には、当時お世話になった添乗員と、その旅行会社名まで覚えているひともいる。とても同じ学校で同じ旅行に行ったとは思えない衝撃だ。よっぽど悪いことをして注意された記憶でもあるのだろうか。わたしは、小中高の三度の修学旅行のうちの二度、出発の集合時刻に遅刻しているが、模範を絵に描いたような優等生だったため、就寝時刻を過ぎても騒いでいて怒鳴られたり、服装がだらしなくて説教されたり、先生の説明を聞いていなくて怒られたりしたくらいで、添乗員との接点はなく、思い出の中に彼らはいない。しかし今思えば、無事に行って帰ってきたあの修学旅行を形作っていた人たちが実はいたのだなあと感謝の気持ちでいっぱいである。
そんなことを思いながら引率をしていたあるとき、奈良の薬師寺で印象に残る法話を聴いた。この寺では機知に富んだ法話が聴け、僧侶によっては生徒さんたちを大爆笑の渦から脱出させないくらいに笑いをとるひともいて、旅行が大いに盛り上がる一場面になる。その日も笑いながら生徒さんたちと共に聴いていると、彼は次のような話をした。
曰く、「君たちのこの修学旅行にいったい何人のひとが関わっているか、想像したことはあるか?」というものである。
「例えば、今朝、ホテルで朝食を食べてきたよな。それを何人のひとが作っていたと思う? さらに言えば、みんなのために何時から準備していたと思う? 関西に来るとき、飛行機乗ってきたよな。それを整備している人、何人いると思う? バスは? 道路は? すごい人数だよな。君たちの旅行は、決して君たちだけでできているものじゃないんだ。当たり前の顔してへらへらしてちゃダメなんだ。たくさんの人たちが手を加えているんだ。だから、目に見えないその人達のことも含め、感謝の気持ちを忘れちゃいけないよ」
これを聴いて、その通りなんだよなあと思った。旅行に行って、何事も起こらず無事に帰ってくるのは、実のところ、ほとんど奇跡なのである。無論、生徒さんたちの協力があってこそ穏便に物事が進むのであるが、問題が起きないように、たくさんのひとたちが事前に、目に見えないところで様々なことを解決してくれているからこそ、「ただいま」という明るい声を家族に聞かせることができるのである。これに気がついたとき、自分が学生だった頃の修学旅行に関わっていただいた顔も知らない多くの方に、感謝のことばを心の中でつぶやいた。
新型コロナの影響で多くの学校行事が変更、または中止になっている。修学旅行も同様で、日程、方面が変更になった後、実施を間も無くに控えたところで、中止が決定になった学校も多くあった。観光業会に限らずの話であろうが、そのたびに変更、取消、予約取り直しに振り回され、結果、中止になって収益が残らない忙しいだけの時間をずいぶん過ごしている。ただ、一番がっかりしているのは無論、当の学生たちに違いないから、泣き言はいってられない。
そんななかでも、各自治体の協力も得ながら、対策を充分に練ったうえで、延期になっていた修学旅行の出発がこの秋から始まり、繁忙期を迎えている。予定していた方面、内容と異なってしまい、つまらない想いをしている学生も多いのではないだろうか。ただ、出発するにあたっては、会うこともないとても多くの人たちがいくつもの困難を解決して、君たちが旅行に行けるようにしたことを、学生時代の一番の思い出を作れるようにしたことを、忘れないで欲しい——とまで恩着せがましいことは言わないが、いつか、あらためて、大人になったとき、その事実に気付いて、感謝の念を湧かせてくれればいいなあと思う。
いろいろな制限はあるだろうけれど、その仲間とは二度といけない旅行を、時間を、ぜひ、全力で楽しんでください。
家に帰るまでが旅行です。
どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ。
北海道新聞2020年10月5日