今年の6月に一念発起し、減量、ならびに「42歳になったら挑戦しよう42.195キロ」という去年からの目標のもと、約4カ月の準備期間を経て、今月のあたまにマラソン大会に出場してきた。
結果は、4時間6分5秒で無事に完走することができた。実のところ、6月に練習で走り始めたときは2キロを走るのもやっとだったが、日々を重ねるうちに楽に走れるようになり、「とにかく走り切ろう」だった当初の目標が、ふと、「初めての挑戦で4時間を切ったらかっこよくない?」にかわり、それに向けて鍛え、「22週でできる! フルマラソンへの道」といったサイトに則り毎日を過ごし、季節の移り変わりを目にしながら走り続け、何とか体調を整えて当日を迎えたのだが、レース本番では、経験不足によるペース配分の乱れと共に、わたしよりも先行していた諸先輩方が、足をつったり、動けなくなったりしている姿を目にし、30キロ地点で「残りのこの体力でスピードをあげたら、彼らのように途中で動けなくなるかもしれない」という心配に襲われ、結果、「とにかく完走しよう」という初心貫徹に集中し、「おれならいける、おれならできる、おれなら大丈夫」という呪文を一万回ほど唱えた後、ラクビー日本代表の具選手のようにガッツポーズしながら、瀕死の状態でゴールした。目標タイムには届かなかったが、それなりに、「がんばりました!」と胸を張れる結果だったと思う。
わたしがランニングを始めたという話をすると、「やっぱりランナーズハイにはなるんですか?」という質問を何度か受けたことがあった。ただもくもくと走るという行為がこれまで嫌いだったにもかかわらず、いまではすっかりランニングにはまり、毎日のように汗を流したくなるのはもしかしたら何かしらの中毒であり、ハイな状態になっているのかもしれない。しかし実感としては、走っている最中に心地よくなった瞬間がないため、答えとしては、「まだ、ない」ということになる。
ランナーズハイについて調べたところ、体内が一定の飢餓状態になったときに発生することがわかっているらしい。プロのマラソン選手のような脂肪量の調整をしているひとほど、なりやすいことが判明しているそうだ。つまり、わたしのように、来たる氷河期に備えて肉体にいくらかの蓄えを施している状態では、ランニングによる多幸感を得ることはまだ難しいのかもしれない。
しかしどうせなら、ランニングをしている以上、ランナーズハイを経験してみたいものである。わたしはなんでも自分で体験してみたい人間である。その状況になると、陶酔感となんとも言えない恍惚感に包まれ、身体が軽くなり、どこまでも走りたい心地になるという。
このとき、脳内では何が起こっているのか。2015年に発表されたドイツの研究チームによる内容を要約すると、ランナーズハイとは、脳の中で大麻の効用と同様の成分が分泌されることらしい。それにより、言葉では言い表せない状況になっているというのだ。つまり、大麻業界の言葉を借りるなら、「ぶりぶり」の状態になっているということである(大麻を吸って陶酔感を得ることを、ぶりぶりと言うそうです)。
ぶりぶり。
2000年のシドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんは、レース後のインタビューで、こう応えている。
「すごく楽しい42kmでした」
ぶりぶりだ。これはもう、ぶりぶりだったに違いない。
しかも、「ランナーズハイになるとどこまでも走れるような気持になる」ということを踏まえたとき、高橋さんがそうだったのではないかと思われる、レース中に関するコメントがある。26km地点から、二位になったシモン選手と一騎打ちをしていた場面である。
「特に下り坂の続く31キロ地点の風が気持ちよかった。シモン選手とこのまま永遠に走り続けたいと思いました」
つまり、ちょーぶりぶりだったのである。
合法的に陶酔した多幸感を得られるなんてなんてことだろう。ランニングに嵌まるひとが続出する理由がよくわかる。みな、健康的に中毒になっているのだ。
健康と中毒とは相反するもののように思える。しかし、ランニングにおいてはそれが同時に起こるのだから、もしかしたら幸せを感じるための究極の形なのかもしれない。
では、どうしたらその状況を起こせるのか。いろいろ調べてみると、明確な方法は結局のところ見つかっていないようであった。ただ、「長時間走る」のと、「年齢別最大心拍数の70~85%の心拍」で走り続けると、引き起こす確率が高くなるようであった。
長時間走る——つまり、LSDである。
LSDは、本来、楽な速度でゆっくり長く走る必要があるので、最大心拍数の70~80%というくくりには合わないのかもしれない。しかし、うまく調整ができれば、夢のランナーズハイを味わうことができるかもしれない。
わたしは、これまでの練習でLSDをするのが苦手だった。ゆっくり走っているうちにもどかしくなり、ついついペースを上げてしまうのである。考えてみると、だからランナーズハイにならないのかもしれない。やっぱり、ハイな状態になるには、LSDが欠かせないのである。LSDをやるしかない。LSDで気持ちよくなるのだ。
そんなことをもんもんと考えていたある日、同じくランニングをしている同僚と昼食の時間が同じになったので、休憩室で、「ランナーズハイになったことあります?」と訊いてみた。すると彼は、「なったかどうか判らないけれど」とことわりを入れ、次のように続けた。
「走っているときに、ぼーっとして、顔を上に向けながら、口をあけて、少しよだれをたらしながら、『アーーーーーー』って言ってたことある」
彼は実演しながら、教えてくれた。
それはもう、違うLSDをやっているに違いない。危険である。聞かなきゃよかった。
わたしはこれからも健康的にランニングをしていこうと心に誓った。